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2016 年 5 月 10 日 高取焼き

おはようございます。

PR39の代表林鍋昌です。

 

先週の続きになります。

やまめの郷の帰りに小石原村(現在東方村)に

小石原焼きの総本家と言われている

高取焼きがあります。

 

私は今から30数年まえ

故人となった高取静さんと知り合い

当時、毎月1回、半年ほどおしゃまし

高取焼きについてとても貴重は

お話を聞く事が出来ました。

 

高取焼は約400年前

豊臣秀吉が多数の朝鮮の名陶芸家を

無理やり日本に連行した時

初代高取八山も家族とともに

日本に連れて来られたといわれました。

 

初代高取八山が窯を初めて開いたのは

私がいつも登山をしている福智山の麓でした。

そこは今10軒前後の上野焼の村を形成しています。

 

また白旗山窯(福岡県飯塚市幸袋中字野間 )で

窯を開きそこには石碑が立っています。

ここは現在私の家から2キロ程です。

 

高取焼は江戸時代

黒田藩の直属の御用窯で

その当時は一切他には

陶器を焼いて渡す事はなかったそうです。

 

静さんは11代目でした。

9代目の時

明治維新で黒田藩廃藩。

同じく明治初期に高取窯は壊されます。

10代目の静山さんの父が

1900年初期に窯を再興しますが

初個展を前に急逝。

その時戦争が勃発し

また窯の火が消えたそうです。

 

戦後、静山さんは、ただ一人の直系子孫として

髙取焼宗家の再興に尽力されました。

その準備過程はとても言葉では表現できません。

 

壊れた登り窯を女手ひとりで造り上げ

絵巻に描かれた高取焼の秘蔵の造り方に沿って

粘土や、うわぐすりの造り方など

数知れない失敗に失敗を重ね

ようやく1958年末に

高取焼宗家再興の

初窯開きが行われました。

その時髙取焼十一代 「髙取静山」が誕生します。

 

静山さんが窯開きした後

大変な苦労をされた話を聞きました。

 

静山さんは

小石原峠を行き来する

当時砂利道で数すくない自動屋やバスに

客引きの為、

雨の日も炎天下の日もまた雪の降る日も

頭を下げ陶器販売に尽力された事を

私に涙を浮かべながら話されました。

 

私は先祖代々創作された

国宝級の急須やと徳利、花瓶などを

拝見せてもらいました。

また静山さんが精魂つくした作品も

拝見する事が出来ました。

土の造り方も機械ではなく

古来から伝わる朝鮮式の水車で

丹念に時間をかけ造ります。

 

機械で造った土は粒子が丸く

粘着が弱く壊れやすい。

水車の臼で造った土は

粒子が粗く粘着力もあり

うわぐすりののりも良く

光沢も良いと聞きました。

 

その時、焼き物について

なんにも知らなかった私に

その魅力を深く感じさせられました。

陶器にまつわる

日本と朝鮮半島の歴史や文化

人間模様。

 

とくに高取静山さんの

艱難辛苦を生き抜いた

その生きざまに

ただ感動するばかりでした。

 

永眠されたのは75歳であったと記憶しています。

現在も静山さnの子孫が、

東峰村大字小石原鼓釜床で、

第十三代高取八山として、

高取焼宗家高取静山窯を継承しています。