2016 年 5 月 31 日 続編「高取焼」
PR39 代表の林です。
先週、水郷日田に初夏の訪れを告げる
「日田川開き観光祭」に家族5人で行ってきました。
筑後川水系の鮎漁解禁と鵜飼いシーズンの幕開けに
合わせて行われるこのお祭りは、
毎年20万人を超える多くの観光客でにぎわいますが
今年は地震の影響か、やや少ない感じがしました。
その帰り久ぶりに小石原焼の本家
「高取焼宗家」を訪ねました。
前々回高取焼きについて述べましたが
写真一枚なくイメージがわかなかったと思います。
この度はできるだけ「高取焼宗家」について写真入りでお伝えします。
日田市から筑豊に向かって小石原峠を越える
(国道211号線)数キロ手前に高取焼宗家があります。
国道を右手に入れば川幅5メートル前後の小川があり
その橋を渡ると昔風の藁葺(わらふき)屋根の古民家につきます。
橋の名前は「静山橋」
これは高取静山さんの名前を付けたそうです。
私が幼いころ、農村ではどこでもあった藁葺の家。
夏は涼しく冬は暖かい日本の風土に適した家。
広い庭に駐車場があり
玄関の入り口には「高取焼宗家」の暖簾が涼しげに揺れて
私たちを温かく迎えてくれました。
家の右手にもう一つの暖簾がかかった玄関があり
その中をくぐると約20坪ほどの展示場に
高取焼きの商品が大量に展示されています。
ここには庶民価格の陶器が展示され
直接手に取ってみる事が出来ます。
安いもので湯呑が1個1000円、
高いものでは数万円。
そこで見ていると高取焼き13代八山(はちざん)
本名高取栄作さんのご夫人(50歳前後)が出迎えてくれました。
彼女に私が生前の高取静山さんにお会いし
お世話になった事を話しましたところ
その時はまだこの家に嫁いで無かったといわれましたが
私たちを大変気に入られ見たいです。
商品整理中の忙しい時に手を止め
私の話を聞いて頂き
おいしいお茶と和菓子まで頂く
とても温かいおもてなしを受けました。
藁葺家の畳の部屋にはガラスのケースに展示された
「茶入」、「茶碗」、「徳利」、「急須」など
一品が数十万円の陶器ばかり。
そこにはしっかりと鍵がかかっていました。
私がご夫人に「登り窯」と「水車」など見学したいとお願いし
直接案内と説明を受けながら見学する事が出来ました。
最初に案内されたのは「登り窯」。
緩やかな傾斜にそって長さ約十数メートル、幅3メートル
赤土と耐火煉瓦で作られた「登り窯」は圧巻そのものです。
四百年前に朝鮮半島から陶芸師が日本に来るまで
この登り窯はなかったそうです。
中にはまだ焼きたての陶器がずっしり詰まっていました。
登り窯の横には幅2メートルほどの渓流がながれ
その渓流に沿って20~30メートルほど登ると
固い石状になった陶器の土作り水車に案内されました。
この水車は一般的な丸い水車ではありません。
大きな5メートルほどの丸太で作った水車。
大木の片方は水受け用に臼状にえぐり取り
もう片方は直径20センチくらいの穴をあけたところに
餅つきの杵のようなものを付けたもの。
上流から流れてきた水を臼状になったところで受け
満杯になったらその重みで方の杵が持ち上げられ
溜まった水がこぼれたとき
杵が石を砕くシステムになっています。
「ドッスン」とその時の音が豪快で
渓谷中に響きわたります。
こんなのんびりした空間が400年も続いていたとは。
水車小屋からさらに40~50メートルほど登ると
先祖の墓があります。
1メートルほど土が盛られた墓は
ご夫人の説明によるとこれも朝鮮式の墓だそうです。
左に初代「八山之墓」、右に八山の妻「志らと之墓」。
中睦ましく眠っていました。
高取焼宗家を訪ね
この様な焼き物を通して
歴史の重み、文化の深さをしみじみと
感じるひと時でした。