2017 年 5 月 19 日 まったく知らなかった「上野焼」
PR39代表の林です。
先日、いつもように
里山の福智山に登りました。
登山口に入るまで1~2キロ前後して
上野焼(あがのやき)の窯元が
15~16軒ほど立ち並んでいます。
私は、この道を約100回ほど
通ったにも関わらず
上野焼陶芸館に一度寄っただけで
この焼き物ついて何も知りませんでした。
自分の思い違い、思い込み。
上野焼はてっきり
小石原にある高取焼きと
同じものと思っていました。
毎年、5月連休時に
陶器祭りが行われますが
メルマガの話題にしようと
登山の帰り道
登山の格好をしたまま
5~6軒の窯元を訪ねました。
訪ねた窯元は下記の5カ所
1.梶原窯
2.高鶴峯山窯
3.庚申窯
4.渡窯 (登窯と展示品)
5.熊谷本窯
一気に見物したので
まだ上野焼の特徴や歴史
その文化的価値などは
良く分かっていません。
しかし、ここで知り得た事の一つは
高取焼きは後に
黒田藩の直属窯元に
上野焼は
細川藩の直属窯元に
陶器を見ると
高取焼きは重厚感があり
上野焼はそれに比べ軽く
色が鮮やかな感じがしました。
ここで知り得た二つ目は
上野焼も高取焼も
豊臣秀吉時代に
朝鮮から陶芸師やその家族
使用人まで多くの人々が郷を奪われ
連行されて来たとの事です。
高取焼の先祖、
高取八蔵の長男八郎衛門は
祖国朝鮮へ帰国を願い出したことで
城主、細川忠興の勘気にふれ
山田村唐人谷(現在福岡県山田市)へ閑居、
その後も白旗山(現在の飯塚市幸袋)へ
窯を移し、そこで生涯を閉じたとの事でした。
過去も現在も
武力を持って
戦争をすることは
たくさんの人々に
不幸をもたらすと言うことです。
今日、現在も
朝鮮半島を取巻く情勢が
きな臭くなっています。
どんな事があっても
戦争はあってはなりません。
武力ではなく話し合いで
平和に解決できるよう
心より願っています。
現在、私が住んでいる所が
飯塚市幸袋
高取八郎衛門の碑がある
白旗山の反対側
南にあります。
歴史や文化は
本当に深く、重く
色んな人に関わっていることを
身に染みる思いがしました。