2018 年 11 月 29 日 小善は大悪に似たり

PR39代表の林です。

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

 

20年くらい前に友人の社長室の

ホワイトボードに座有名として

書かれていた言葉でした。

その時、その意味が良く

わかりませんでした。

 

これは「自己の満足のために行う

小さな善行「小善」は、

それが善意から発したものであっても、

結果として人を傷つける

「大悪」のと変わらない

場合があるという意味です。

 

この言葉は仏教の教えです。

 

この名言は商いはもちろん、

教育、子育てなど社会的存在である

人と人が関係する人間社会において

すべて通じるものと思われます。

 

会社においても

経営状態が厳しいとき

借金をしてでも社員が喜ぶ

給与を上げ、機嫌をとるような

「小善」ばかり行えば

会社はおのずとして

倒産を免れないし

社員は職を失う事に

なりかねません。

 

逆に経営が厳しい時、

経費を節約し、その難局を

打開する為の社長の

厳しく能動的な行動は

少なくない社員からは

「非情」に見えます。

 

その結果、会社倒産を免れ

大きく飛躍する契機となれば

それは「大善」ではないでしょうか?

 

子育てや、教育、

あらゆる組織の運営などにも

同じことが言えます。

 

子どもの教育においても、

おもちゃなどを子どもの

言うがままに買い与えたり、

テレビやアニメやゲームを

子守がわりに見せたりやらせたり、

小遣いを際限なく与えたりする。

 

そうやって甘やかし放題に

甘やかすなら、我慢のできない、

わがまま放題な子どもに

なるのは目に見えています。

 

「一人子政策」で上記のように

育った子供の問題が

おきな社会問題と

なった国もあります。

 

躾やルールを守らせるということは、

真の大人になるための最も大切なことです。

ときには厳しいことを言ったり、

叱ることも必要です。

 

大事なことは人に対する、

「愛」、「思いやり」、「情」と

同時に「厳しさ」や

「非情さ」も兼ね備えて

おかなければなりません。

 

追伸

「言うが易く行うは難し」、

「大善は非情に似たり」を

実践できる人でありたいです。